*科学となぐさめ*

1月下旬の寒波襲来の頃に旅立った父の四十九日が終わり、気がつくと春が近づいてきました。そこでその頃の出来事を書こうと思います。

私はこれまでに家族の葬儀の周辺で兄弟や夫婦の間で心がすれ違ったり、もっと大きな禍根が残るエピソードを聞いたことがあって、なぜかずっと心に残って覚えていましたました。そんなことは故人は望まないだろうし、自分がその立場になって誰かを傷つけたり、誰かの言葉に過剰に反応したりしないようにしようと思っていました。

通夜で菩提寺の方丈さんが読経のあと、説話をしてくださったときに、
「人はどうして死ぬと思いますか」
と、私の弟にたずねられる一幕がありました。
弟が何と答えるか、もしくはこの場は本当に答えを求められている場なのかと逡巡しているうちに説話は先に進んでいってしまいました。

通夜ぶるまいの席で、弟の子である甥が、「あれは何と答えるのがいいのでしょう」ということを聞いたので、
身内だけのテーブル席であったこともあり、私は、
「私たちが生きているとき、体を作っている細胞はたえず入れ替わっていて、細胞分裂で遺伝子の情報もコピーされていくよね。その時にコピーミスなどがおきることがあって、長い間生きているとそういうコピーミスみたいなものが積み重なって臓器とか器官が正常に動かなくなっていってしまう。特に何もなくても人はそうやって老いていずれ死ぬっていう答えはどうなんだろうね。」と言って、同意を求めるように弟の方を見ました。
しばらくして、それほどビールを飲んでいたわけでもない弟が私の子に、「お姉ちゃんみたいに(科学的に)正しいことだけ言う大人ばかりのいう事を聞いていてはいけない。僕は人は役割を終えたときに死ぬと思う」と言い、少しだけ場の空気が変わる時がありました。
弟は分子生物学が専門で先に同意を求めたのも、弟の方がより正確な話に訂正してくれるかと思ってのことだったので私は少しあっけにとられたようになりました。

* * *

「あの言い方はカチンときた」と翌日葬儀を終えた帰路に子が言いました。

そこで先の、”家族の葬儀では兄弟や夫婦でもめ事がおきやすい”という話をして、そういうことがあるとわかっていれば冷静にそういうものだと受け入れられるという話をしました。そして、「弟はとても悲しかったのでいつもと少し違ったんだろうね」と言いました。

そのあと私は火葬場からの帰りに自分が思っていたことを話しました。「お母さんは、おじいちゃんが荼毘に付された時に考えていたことがあって、おじいちゃんを作っていたものの粒子が高い煙突からうまく空に上がっていくとどのくらいの高さに届いて、どのくらい滞留できるのかなって。多分数日は滞留できるはずだと思う。もしジェット気流なら11時間でこのあたりの緯度を一周できる。空を飛んで遠くまで行っておじいちゃんの大好きな大自然の中に降りれるといいなと思ってた。きれいなオーロラの真下を通れるかもしれない。そのあとに雪の核になって実家の近くの高い山に降ったら、春にはおばあちゃんがおじいちゃんの代わりに世話をする花畑の横を流れている川の水になるかもしれないし」、

「ただ、そういった粒子も骨でさえほとんどのものはおじいちゃんがこの数年においしいねぇと言って食べたものからできていて、私たちもおじいちゃんも地球の循環の中で入れ替わっているから、おじいちゃんはこれからもいつもどこにでもいるのかもしれない」。